寺田's 学びを成長につなぐフォーカス発想のススメ
「びみょーだよね」という微妙な表現
いやー、寒い日が続きますね。
新著の原稿リライトの〆切が今日だったんですが、風邪で2日間寝込んで予定が完全に狂いました。
うだうだしているうちに、何を書いてイイやらなんだか訳が分からなくなって頓挫・・・。(−−;
いかんいかんと思いつつ、明日は休日(息子の遊び相手)、明後日はクリスマス(私は仏教徒なんですが…)で、また執筆が中断します。
年賀状はひとまずフリーズしておいて、25日からラストスパートで書き上げようかと思う次第です。
さて、12月に入ってから、ぼちぼち2009年を振り返る機会も多くなっています。
ま、そういう時期ですよね。(^^
その中で非常に気になったことが1つ。
これは別に2009年のお話ではないのですが、最近、自分が言葉を曖昧にして流してしまっているなーと感じることがあります。
その代表例が「びみょー」という言葉。
「なんか、その話、微妙だよね」
「なんか、彼の態度、微妙だよね」
そんな感じで、結構よく使っています。
ここには
「何が、どう微妙なのか」、「微妙だったら何なのか」が、まったく明らかにされていないんですよね。
何となく「わかるでしょー」的な無責任さ。最終的な判断は「聞いている人任せ」なんですよね。本人は何も言っていないのと同じレベル。
そして、感じたことを適当に、深めることなく言葉にする軽薄さ。反応レベルでものをいう典型です。
「なぜ、そうなの?」「どういうことなの?」「それで何なの?」という問いに対して、明確に思索し、言葉として出力しなければいけません。それが意見を発する際の大原則です。
なんで「いけない」かっていうと、「相手に伝わらないから(納得してもらえない)」です。だって「言ってないのと同じレベル」なんですから。(そうでなくても伝わっているってことは、相手も「まー、なんとなくそーだよねー」とごまかしているってことですね。)
そして、さらに自分がどういう思考回路を持っているか、どういう感情を持っているかってことが分析できないんですよ。だから、相手に対しても「だからどうして欲しい」とか「だから、こうしたらいい」とかいう提案もできません。
こういう何となくの思考、反応レベルの思考を引っ張り出してきて、もっと「思考を磨き上げる」訓練をせねばと思った次第です。はい。
ぜひ、来年はご一緒に言葉を磨く年にしましょう!(^^)!
P.S.
相変わらず勝間さん大人気です。「カツマー」というキーワードで検索して、このブログに到着した人が2日間で約1500人。。。
●●

コメント
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.sr20.jp/mt/mt-tb.cgi/366

