寺田's 学びを成長につなぐフォーカス発想のススメ
【言葉】読書における「読まない」ことの価値
ショウペンハウエル著『知性について』より
「
ひまになるとすぐ書物に手を出すのは、よくないことである。しばらくは自分の頭の中を静めるがよい。そうすれば、とかく良い考えが浮かんでくるものである。リーマーがゲーテに関する著書の中で、独創的な思想はほとんどいつも、歩いているときか立っているときに訪れるもので、坐っているときに訪れることはきわめて稀であると言っているが、これは至言である。
」
ショウペンハウエルは、本を読むということを「思索の代用品に過ぎない」と言い切ります。
つまり、本を読むというのは「考えていない」状態なのであって、そんなことばかり続けていては頭が悪くなるとまで言っています。
実際、本を読んで何かを学ぶという場合、実は本を読んでいない時にこそ、本当の学びがあるものです。
本を読んでいる最中に、本を置いて物思いにふけってみる。
本を読んだ後に、それを元に実行し、体験してみる。
本から得たアイディアを紙にまとめ、あるいはそれをきっかけに思索を深めていく。
本でいくばくかの知識を手に入れたとしても、そんな知識は何の役にも立ちません。揮発性ですから、すぐに消えていく運命ですし。
「本を読む」というのは、「本を読んでいない時間」を含めて考えるべきものなのかも知れませんね。
セネカは食事に例えて、飲み込んで血肉にしなければ意味がないというような話をしています。
読書における「読む」作業というのは、「文字を理解する」ことに始まって、「整理する」「記憶する」「行動する」「フィードバックを受ける」「知の再構築をおこなう」という一連の作業をセットで考えなければならないってことですか。
表面的な「本を読む」ことに必死になりすぎると、手に入るはずの成果、成長を置き去りにしてしまうかも知れません!
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