寺田's 学びを成長につなぐフォーカス発想のススメ
「おいしくないです」の後に、そっとつぶやいてみる
以前書いた「おいしくないです」の記事が、私のブログに似つかわしくない盛況ぶりです。(笑)
いただいた拍手、コメントとも過去最高。「気づきませんでした!」というようなご意見がほとんどですが。
その中に、ごくわずかですが「そんな文法的なことや、表現の豊かさにとらわれるのは時代錯誤ではないか」というご意見も頂戴しました。
※メルマガで、日本語の表現の豊かさを「たしなむ」読書が必要ですよね、ということを書きましたので、そちらへの反応ですね。
いわく「国際化の中で求められるのは、伝わりやすい簡潔な表現」であり「日本語に堪能でない外国人にも伝わる表現」ではないか、と。「文法というのは時代とともに変わるのが必然であり、生きている人が使いやすいものこそ重要だ」と。
なるほど。ごもっともですよね。貴重なご意見をくださったみなさま、本当にありがとうございました。
くださった方、ご本人様方には直接返信をさせていただいたのですが、せっかくだからシェアしておきたいなと思って、ブログにも思うことを書いてみようかと思います。
メルマガには次のようなことを書きました。
「
「反映されていないんです」
「反映されていないのです」
「反映されていない」
「反映されていません」
「反映されていないです」
これらの微妙なニュアンスの違いを感じ取れる感性を忘れてしまうってのは、ある意味で「日本の文化の微妙なひだ」を失うことでもあるような気がしています。
日本語が超単純化されてるっていう話はよく耳にしますよね。
それって、きっとかなり悲しいことで、深刻なことだと思うんですよ。(「文化」の中の「言語」にだけ着目して、の話ですけどね。)
「豊かな日本語」って、間違いなく書き言葉の中でしか得られません。
教養系クイズ番組で出てくる「あー、そんな表現あったねー、でも使わねー」というようなたぐいの言葉は、まさにそう。
」
簡潔な表現を大事にしよう、という主張は正しいと思います。コミュニケーションの本質は「わかり合うこと」ですからね。豊かな表現、微妙な言い回しは自己満足とも言えます。
ただ、コミュニケーションの現場で簡潔な表現を心がけることと、日本人としての素養として豊かな言語文化をたしなむこととは、まったく次元が違う話です。
私が「たしなみ」として小説、文学、古典作品を読もうというのも、齋藤孝先生が「名文を声に出して読もう」とおっしゃるのも「豊かな文化を受け継ぐため」、「日本語の良さ、豊かさを失わないため」です。
それは「コミュニケーションは効率的に」という話とは対極にある思想。
根拠は「だって、豊かな文化があった方が楽しい、嬉しいと思いませんか?」という感情論。
効率性を求める文明の流れとは、まったく異質な文化の視点といえば大袈裟でしょうか?
私は海外旅行の経験は少ない方で、アジアから出たことがありません。
その少ない経験ではありますが、飛行機で降り立った台湾、韓国、香港の近代的な空港は、まったくもって日本の空港と違いがありませんでした。
とてもおしゃれで、機能的。そして快適。
町に出ても同じです。7イレブンがあり、マックがあり、KFCがあり・・・。
快適だけど、こんなんばっかりだったら、絶対に物足りない。そんな気がします。
とは言いながら、洋服を着て、マンションに住み、和風なものといえば料理ぐらい?という生活をしている私です。
それでも、やっぱり和風建築の家に対するあこがれは捨てきれませんし、黒川、湯布院の純和風の温泉旅館に泊まると、すごく幸せだな〜日本人でよかったな〜なんて思います。
おそらく、文化って無駄な部分にこそ味わいがあり、価値があるんだろうと思います。
そして、それがなくなっても、別に困ることはありません。むしろ効率化して、国際化する社会の中では喜ばれるのかも知れません。
でも、そんな「ひだ」を失った文化って魅力がない気がします。
そして、そういう「ひだ」をたくさん持った、私たちのご先祖様の文化遺産としての名著。
今さら、そんな表現を使うことはないかも知れないけど、でも、読めば味わえる。そんな「たしなみ」を忘れたらいけないんじゃないかと思うわけです。いや、個人的に「忘れたくない」な、と。
そして、そういうたしなみってのは、私たちの言語のセンスを磨いてくれるはずですし、それは確実にコミュニケーション力の向上につながってくるはずだ、とも。
そんなことを思いながら、年寄りクサイ、原理主義っぽいスタンスでつぶやいてみた、というわけです。はい。
いかがでしょう?
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