寺田's 学びを成長につなぐフォーカス発想のススメ
速読できても本は読みませんが、何か?
今、ちょっとおもしろい本を読んでいます。
『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール著)という本です。
タイトルが刺激的ですので、ちょっと読んでみようかと興味をそそられる人もいるかも知れませんが、意外と堅物でして、さらっと読んで楽しもうっていうテイストの本ではありません。
でも、話が非常にオモシロイんですよ。
オモシロイだけならサクッと読んでもいいわけなんですが、表現が非常に抽象的、感覚的だったり、意図的に分かりにくい表現にされていたり、、、というわけで、速読にはなりません。少なくとも私の頭では。
そういうわけで、通勤のバスの中で、じっくりじっくり楽しみながら読んでいます。
まぁ、もともと速くは読めなさそうな本なのですが、実はゆっくり読んでいるのにはもう1つ重大な理由があります。
この本の表現がオモシロイため、表現にフォーカスしながら読んでいるんです。
当たり前ですが「言葉」にフォーカスを当てれば、一字一句読まざるを得ず、スピードの上げようがありません。しかも、それがすらすら読んで理解できるものでなければなおさらです。
表現については、ちょいと伝えられそうにないので、ここではパスします。
その代わり、考え方としてオモシロイと思った部分を2つ紹介してみます。
「
「読んでいない」という概念は、「読んだ」と「読んでいない」とをはっきり区別できるということを前提としているが、テクストとの出会いというものは、往々にして、両者のあいだに位置づけられるものなのである。
」
いかがですか?
実際、「この本、読んだ」という場合、その「読んだ」には非常に強烈な濃淡がありますよね。
「読書の価値=著者の力×読者の力」という式で考えると、読者の力量で「読み取れる内容」に激しく差ができてしまうのは当然のことです。
逆に「読んでいない」という場合でも、著者とタイトルから想像できたり、人のブログで感想やポイントを読んだりしていれば、「まったくその本のことを知らない」状態ではなくなります。
なるほど、確かに。
なんだか、自分の「読書論」の足りなかった部分が見えてくるというか、もやもやとしていた部分の霞が晴れてくるというか、私にとっては、いい刺激になっています。
それともう1つ。自己弁護の武器になりそうな言葉を発見。
「
本を読まない人間と読書と無縁な人間とは、本にたいする態度においても、その奧にある動機においてもちがうのである。
」
私はフォーカスが明確なんで、無駄な本は読まないんです。
強い意志を持って多読と乱読を拒否しています。
例え10分であったとしても、そんな暇があったら、息子に絵本を読んで上げたり、遊んで上げたりする方がよほど有意義です。
・・・と、うそぶいてみるワケですが、そんな私を励ましてくれるような一文でした。(笑)
とはいえ、世にあふれる本について語れない速読屋というのも、ちょっとみっともない、と。
この本を読んで、読んでない本について、堂々と語れる人を目指すことにします。(道は相当険しそうですが!)
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